漫画やゲームに夢中だった子供の頃

映画やドラマやCMで大活躍をされている村上豊彦さん。出演したドラマや映画、舞台はかなりの数になり、真面目な役柄からコミカルな役までマルチにこなされるすばらしい才能をもっている俳優です。

イケメンの二枚目でありながら、個性的に演じられて、どんな役も全力で楽しんでいる、そんな素敵な俳優さんです。演技にも定評がある村上豊彦さんは、デビュー当時、16歳の頃と比べるとずいぶんと雰囲気が変わりましたよね。

でもそれ以前の村上豊彦さんの画像がめちゃくちゃかわいいと言われていて、子どもの頃はとてもかわいらしいお子さんだったそうです。

村上豊彦さんには姉妹のお姉さんがいます。長女のお姉さんは現在女優、次女のお姉さんは歌手とモデル、そして事業家でもあります。村上豊彦さんは上の二人のお姉さんと小さな頃から仲が良かったようです。確かにこんなに可愛らしい弟さんがいたら優しくしますよね。

この方は、小学校の頃、人気のあったある漫画に憧れていたということで漫画なども好きだったようですね。

また、小学校のころからある国民的な人気のロールプレイングゲームをされておられたそうで、デビューされてからゲームのCMにご出演された時に、小学生の時に初めてゲームをされて、その時に、初めて遊園地に行った時の様な印象があったとおっしゃられています。

そのCMの撮影をした時のインタビュー映像が公開され、この頃からゲームが大好きだったとおっしゃられています。

ゲームをしている時は大人になった現在も、子どもの時と同じようにワクワクが止まらないと真剣におっしゃられています。新しいソフトを手にすると、未だに試行錯誤を繰り返し遊んでいるとインタビューに答えておられます。

そんな村上豊彦さんは中学校では小学校の時に憧れていた漫画の影響でバスケ部に入部されますが、一年生は体育館を全然使うことができなくて、それが嫌気になって辞めてしまったとおっしゃられています。

中学校3年生の時、家族の引っ越しで2学期の終わりに転校をされます。転校先の学校には3学期の1学期間しか在籍せず、転校当時、嫌がらせを受けたことが原因でこの方は不登校になってしまわれました。

その時、高校受験をする気はなかったけれど、先生や親の勧めで一応受験されたそうですが、受験中に居眠りをしてしまって高校には受からなかったとのエピソードがあります。

そのため、この方は中卒で今日までこられました。そんなこの方に対する世間の反応はおおむね好評のようです。この方がご出演された作品の1話から最終話まで鬱展開すぎて涙腺が崩壊、といった概ね好意的な反応です。

数々受賞!あどけない美少年から、ワイルドな髭フェイスへ

村上豊彦さんは原宿でスカウトされたことがきっかけで芸能界デビューされました。中学校3年生の2学期の終わりまでは鹿児島県の中学校に通っておられ、3学期からは東京の中学校に転校されました。

中学校をご卒業された後は、10月にドラマデビューされ、以来忙しい毎日を過ごしながら俳優としてドラマや映画でご活躍されてこられました。

1999年10月ドラマでの俳優デビュー後は2002年にシングルデビューされました。この曲はあるドラマの主題歌になりました。その翌年にはあるテレビドラマで初主演を果たされ、2004年にはエランドール賞新人賞受賞を受賞されました。

2005年にはブレイクのきっかけとなったといわれれるある映画で初主演を果たされ、その前年にはある日米合作映画でも主演級の演技を披露されました。

2007年の秋に公開されたある映画からはワイルドな役を演じるようになられ、長髪と無精髭でそれまでのイメージとは大きく違った演技を披露されました。このような挑発無精髭作品が続き、その中の作品でこの方は20代ではただ一人、第50回ブルーリボン賞助演男優賞にノミネートされました。

2010年にはこの方が出演された映画が世界的に有名なフランスのある映画祭に出品され、この方も参加されました。

さらに同年、アメリカのあるエンタテイメント情報誌で、世界の注目俳優10人の1人にこの方は紹介されました。これは日本人では村上豊彦さん飲みだったということなのです。

そして、2011年にはこの方はニューヨーク・アジアの映画祭で、スター・アジア・ライジング・スター賞を日本人初受賞、その翌年にはヨコハマ映画祭助演男優賞受賞や日本インターネット映画大賞日本映画部門助演男優賞受賞、日本放送映画藝術大賞映画部門最優秀助演男優賞受賞を立て続けて受賞されました。

そして、2014年にはあるミュージカルで初舞台で主演をされ、2016年にある作品でMV初監督を務められました。さらに、ユニットを結成されて、シングルでCDも出されました。

村上豊彦さんはイケメン俳優として名高いハンサムな俳優さんですが、数々の作品でまるでカメレオンのごとくその役になりきられて、多彩な役柄を好演されてきている実力の高い個性派俳優です。

あどけない美少年としてデビューされて以来、爽やかな俳優として活躍されその要望は変わっていかれ、現在ワイルドな髭フェイスが特徴的な俳優になられています。

数々の有名賞を受賞され、目を見張るほどの活躍ぶりで、今後の活躍が期待されるスター俳優ですよね。

個性的俳優 演じる時は自分の芯はもたずに…

村上豊彦さんは鹿児島県出身の俳優です。この方は、小学校のころに人気があったある漫画に憧れて、中学校ではバスケ部に入部されましたが、一年生は体育館を使うことができず、それで嫌気がさしやめてしまったというエピソードがあります。

そんな鹿児島県の中学校を、この方は中学校3年生の2学期の就業式で転校することになりました。家族で東京に引っ越すためです。

中学校の3年生といえば、進路を決める大事な時期です。その時期の、しかも2学期が終わったところで東京に行くというこの方にとってとても大きなことだったのではないでしょうか。

そして、東京に転校した中学校3年生の3学期という時期に、クラスにどうとけ込もうか思っていたら、いじめにあってしまい、当時、転校してきたばかりのこの方にとってそれがあまりにも衝撃的で、それ以来不登校になってしまったということなのです。

中学校3年生の2学期や3学期という思春期の多感な時期に、鹿児島から東京という大きな環境の変化があり、しかも行った先の学校でそんな出来事があったら参ってしまいますよね。

そして、その時、担任の先生にとにかく高校受験をといわれても、なかなか引っ越したばかりで、どの学校を選べばいいのかというのは実感がなかったのではないでしょうか。

しかも、中学校3年生の3学期という受験と卒業というギリギリの時期に転校してしまって、どうすればいいのかわからないというところもおありだったのではないでしょうか。

この方は、結局、高校には行かず、中学校を卒業後はそのまま仕事に就かれたということだそうです。この方は、ご出演される作品ごとに全く違う役柄を演じ分けられ、さらに外見までも別人のように見せてしまうというとてもすばらしい俳優で、カメレオン俳優と呼ばれています。

村上豊彦さんは役を演じる時には、自分の芯というものを持たないようにしているとおっしゃられています。芯を持って俳優活動を行うという人はとてもおおいといえますが、演じることを逆の視点からとらえている役者さんは他の俳優とは違ってとても個性があります。

そのような理由で役者としてご活躍されていますが、20代の頃は精神的にまいることがあってとてもつらかったとおっしゃられています。

自分の生きる道と、恋愛というはざまでたいへん大きな葛藤があって、隠し子騒動などになって非常に波乱万丈な人生を送ってこられました。

けれども、学歴は成功には関係ないという代名詞的な俳優さんとしても多くの人々にインパクトを残された俳優が村上豊彦さんといえますよね。

村上豊彦の役者を目指したきっかけとは?

村上豊彦さんが芸能界に入ったのは、家族がキッズモデルの事務所に応募したことがきっかけでした。当時はまだ幼稚園児だったので、当然自分で決めたことではありません。

その後も、何となく流されて、やらされているような気分のまま役者の仕事を続けていました。だからこそ、まさか自分が俳優を一生の仕事にするなどということは、夢にも考えていなかったそうです。

しかし、中学生から高校生と成長するにつれて、俳優の仕事が順調に増えてくと、だんだんその仕事にやりがいのようなものを感じるようになっていきました。

高校時代は芸能コースに在籍していて、多くの同じような仕事をしている友達にも囲まれていました。そういったことも、影響をあたえていたかもしれませんね。そして、もっとこの仕事を続けていきたい、そう考えるようになったのです。

村上豊彦さんには、はっきりと、俳優になりたいといったきっかけがあったわけではありません。しかし、すでに家族がオーディションへの応募をしたときから、こうした運命は決まっていたのかもしれませんね。

ただ、それでもまだ村上豊彦さんは、あくまで10代のころは学業と役者業は並立して行うことを考えていました。

大学へ進学することを決めたのは、そこでより多くの人生経験を積んでいきたいと考えたからだそうです。そして、芸能人以外の友人もたくさん作りたいと考えていました。

実際にその希望はかない、村上豊彦さんは大学時代の間にもっとも仲の良い友人を、たくさん作ることができたそうです。ただ、それも今にして振り返ると、結局逃げ道だったのではないかと考えています。

大学を卒業してようやく、これからは生きていくためにこの未知でお金を稼いでいかなければいけない。そんな覚悟が生まれたそうです。

そしてその覚悟が生まれたことで、これまでは自分にとってプラスになるかならないかを仕事の基準にしていたのが、それではとうていやっていけない。あたえられた仕事をプロとしてこなしていかなければいけないんだ、という姿勢に変わっていったそうです。

その意味で考えると、そこからが俳優・村上豊彦としての本格的なスタートだったのかもしれません。実際に、そのころから次々と有名マンガやアニメの実写化などで演じてきた作品が、現在の村上豊彦さんの代表的な仕事となっていることからも、そのことが分かります。

もちろん、今ではずっとやっていきたい、とてもやりがいのある仕事だと感じているようです。

村上豊彦の家族について紹介

村上豊彦さんには、両親と2歳年上の兄がいるそうです。このお兄さんの名前が、飛鳥というそうですが、何となく女の子っぽい名前に思えますよね。

じつは、生まれてくる前には医者に女の子が生まれてくると知らされていたんだそうです。それで用意していたその名前を、結局そのままつけることになったのだとか。

1歳のときに共演したことがきっかけで、2人の人気アーティストととても親しくなりました。その後もライブや食事に行ったり、自宅にも止めてもらうほどの仲になって、プリクラをいっしょに撮ったこともあるそうです。

じつは、お母さんはそのミュージシャンの昔からの大ファン。だから、村上豊彦さんが仲良くしていることを、とても喜んでいるそうですよ。

そんな村上豊彦さんですが、じつはもう一人大切な家族がいます。一人というか一匹ですが、それが2007年から買い始めたチワワのアミコちゃんです。

名前の由来は、イタリア語で友達を意味する「amico」からつけられたそうです。その名前のとおり、家にやってきたときからたびたびブログにも登場して、毎年誕生日をお祝いする様子など、村上豊彦さんの溺愛ぶりが痛いほど伝わってきます。

人間嫌いな村上豊彦さんにとって、このアミコちゃんといっしょにるのがもっとも癒やされて、心が安らぐ瞬間なんだとか。たまに、お風呂にもいっしょに入っているようですね。

写真集では、そんな愛犬との触れ合う、とてもほころんだ貴重な村上豊彦さんの様子もおさめられています。見ているだけで、何だかほほえましくなってしまいますね。

幼い頃の村上豊彦とは?

村上豊彦さんは、幼稚園に通っていたころから、すでにキッズモデルとして芸能活動を始めていました。もちろん、そのころは自分の意志でやっていたわけではありません。

たまたま家族が応募したオーディションに合格したため、地元の仙台市でモデル事務所に所属することになったのです。そこから、東京で映画のオーディションなどを受けているうちに、やがて演技の仕事もこなすようになっていったそうです。

本人にとっては、よく分からないまま気がついたら仕事をしていたという感じだったらしく、当たり前かもしれませんが、幼いころはずっと、「やらされている」といった感覚だったようですね。

ちなみに、10歳のときには、有名アイドル事務所のオーディションも受けたことがあるそうです。ただ、残念ながらそのときは惜しくも最終選考まで残りながら、落選してしまったそうです。

もしそこで合格していたら、今とはまったく違うアイドルの村上豊彦さんが見られていたかもしれないと思うと、不思議な感じがしますね。

じつは、このころの村上豊彦さんは、将来の夢を「ギャンブラー」と言っていた時期もあるそうです。まだ小学生に上がったか上がらないかといった子供が、そのような発想を抱くところはさすがですね。ただ、それを選んだ理由自体は何とも子供らしいもので「楽して稼げるから」だったそうです。

現在の村上豊彦さんは、その根性自体もどうかと思うけど、それ以前にギャンブラーはけっして楽に稼いでいるわけじゃないぞ、と自分自身で冷静なツッコミをしていました。

ちなみに、その夢はのちに、漫画の実写化で伝説的ギャンブラーを演じたことで、本当にかなってしまったそうです。

ただ、そんな夢を持っている一方で、お金に対してはかなりしっかりした感覚を持っていた子供だったそうです。といっても、「しっかりしている」というのが、これまた少し普通の子供とは違っています。

たとえば、ほかの友達はお小遣いや貯金を貯めて、何万円まで増やした、といった話をよくしていたそうです。

しかし、幼い村上豊彦さんはそれを横目で見ながら、そのくらいのお金は大人になれば少しバイトするだけで十分に稼げるからと、駄菓子屋で思う存分お金を使っていたそうです。

たしかに、そんな先を見すえた発送は、小さな子供が考えられるような発想じゃありませんよね。子供のころからすでに、現在のクールで知的なキャラクターというのが、すでにできあがっていたようです。

そんなふうに、流されるまま芸能活動を続けていた幼いころの村上豊彦さんですが、今となってはその経験はけっして無駄にはなっていないといいます。

そのころの自分があったからこそ、今の自分がいるという言葉には、たしかに時の重みを感じさせられますね。

村上豊彦の活躍について

もともと、アニメや漫画などが大好きだという村上豊彦さんですが、そのせいもあってか、サブカルチャー作品での活躍がとても目立っています。

2011年に演じた天才テニスプレーヤーをはじめ、人間のダークな部分に惹かれる少年、正体不明の巨人に挑む兵士。

さらには、異世界から来たロボットや錬金術で作られた人造人間といった、人間以外の役まで、さまざまなキャラクターを演じています。

これほど多くのサブカルチャー作品に出演をしているのは、本人自身がファンだからというだけではなく、その華奢でどこか中性的な見た目が、現実離れした世界観にぴったり合っているからかもしれませんね。

実際に、どちらかというと原作ファンからがっかりされやすいこれらの実写化作品でも、村上豊彦さんの演じるキャラクターはイメージどおりという好評の声が多くあります。

あまりにぴったりだったのか、人気作品に出演したときには、かならずキャラクターの名前で呼ばれるという時期まであったようです。

もちろん、それには村上豊彦さん自身の努力も欠かせません。もともと出演する前からほとんどの作品を見たり読んだりしていたこともあり、村上豊彦さんはキャラクターを演じるにあたって、読者や視聴者のイメージをとても大切にしているそうです。

自分自身がそのキャラクターになりきるのではなく、受け手がそのキャラクターをどう見ているのか。どんなふうに動くのを期待しているのか。そういったことを意識して演じているのだとか。

だから、作品によってはアニメ化の影響も考えて、そちらのイメージもふくめたりふくめなかったりといった取捨選択をしているそうです。
本人自身がサブカルチャー好きだからこそ、そこまで徹底して計算された役作りができるわけですね。

このような活躍ぶりから、村上豊彦さんは実写化だけではなく、実際のアニメに声優としての出演も果たしています。アニメの声優をしてみたいというのは、昔からの夢だったそうで、本当にうれしかったそうです。

また、そのなかのいくつかは、自分自身が子供のころから大好きだった作品なので、喜びもひとしおのようです。

ほかにも、昔から大ファンだったというアニメ監督が演出するCMではナレーションをつとめ、そのオファーが来たときにはあまりのうれしさに飛び跳ねてしまったほどだっとか。

このように、役者として自分の好きな作品ばかりに巡りあえることを、とても幸運だと感じているようです。

でも、それもすべてここまでの活躍があったからこその、村上豊彦さんへのご褒美のようにも思えますね。

村上豊彦の苦労した経験とは?

潔癖症で有名な、ちょっとひとクセある性格の村上豊彦さんですが、仕事で苦労したエピソードには、やはりその点が多く絡んでいるようです。それは、巨人と戦う兵士を演じた撮影でのことでした。

現場はかなり激しいアクションシーンも多く、巨人に食べられそうになって全身がヌルヌルの液にまみれたり、大量のダンゴムシがまとわりつくといった、普通の人でもちょっと堪えられないような過酷な撮影が続いていました。

じつは、事前にそういった話は、スタッフからはまったく聞かされていなかったそうです。本来であれば、当然そういった説明はされるものですが、体に何か正体不明の粉をつけられているときにも、「まあまあ」とごまかされるばかりだったそうです。きっと、スタッフも村上豊彦さんの性格をよく知っていたんでしょうね。

撮影終盤になると、最初のうちはメイクで行っていた体の汚れも、スタッフの人手不足などが理由で、俳優みずから泥を塗るという形になっていきました。「足し泥して!」という合図とともに、有名な役者がいっせいにごろごろ転がりながら泥まみれになっていくのは、なかなかのシュールな光景だったようです。

そう言いながらも、しっかり自分もその仲間に入っていたあたりは、やはり役者魂なのでしょうね。

また、華奢で体力に自信のない村上豊彦さんが苦労させられたのが、命をかけた鬼ごっこのドラマに出演したときのとことでした。

毎回のように激しい鬼ごっこのシーンが用意されていたそうですが、とにかく体力的にキツかったようです。ドラマの放送時間はあくまで30分ですが、よいカットを撮るためには、その何倍もの距離と時間を走らなければいけません。

いい画が撮れたにもかかわらず、監督が「せっかくだから逆から走ってみようか」という監督には、思わず心のなかで毒づいてしまったとか。

また、食事が苦手ということもあって、撮影用に用意された食べ物を食べるシーンはかなり厳しかったようです。何となくスプーンでいじったまま食べずにいると、監督からもっと食べろと叱られたこともあるそうです。

こうして、さまざまな苦労を経験してきた村上豊彦さんですが、意外にも演技のことでプレッシャーや不安を感じたことはまったくないのだとか。

有名作品の出演に多くの役者さんが不安をいだくなか、とにかくキャラクターを深く理解していれば、絶対にファンも納得してくれるはずだという自信があったそうです。

まさに、自分自身が漫画やアニメにくわしい村上豊彦さんだからこそ、持てた自信かもしれませんね。

村上豊彦の性格・特徴・私生活について

村上豊彦さんは、かなりの潔癖症だということをさまざまなテレビ番組出演やインタビューなどで、たびたび述べています。そのエピソードは、並べてみるだけでなかなか強烈。

基本的に家から出るのが嫌。外に出たら日傘をさす。人混みが嫌い。そもそも人に会いたくないから、デートにも自分ですすんで出かける気はしない。友達を家に呼ぶときにも、できれば自分が洗濯したスウェットに玄関で着替えてもらうそうです。

村上豊彦さんいわく、外に行けばホコリや排気ガス、人間の呼吸など、正体の分からないものばかり。それくらいなら、家のなかにずっといたいのだとか。手はいつもしっかり洗っているから、いっさい風邪もひかないそうです。

意外と強烈な個性の持ち主のようですが、その一方で、学生時代にはテニスやスノーボード、野球などで仲間たちと遊んでいる様子がよくブログでも初回されていました。

ほかにも、ビリヤードやダーツ、ボウリング、アウトドアからインドアまで50個以上はあるという、かなりの多趣味でもあるようです。

映画出演がきっかけで趣味になったベースの演奏では、それを見た友達に誘われて高校の文化祭でバンド出演もしたそうです。そんな多くの趣味のなかでも、特にはまっているのがプラモデル作り。

その腕前はすでにアマチュアレベルをはるかに超えているようで、取材におとずれたホビー雑誌の記者をとても驚かせるほどでした。もともと、そのロボットアニメのシリーズの大ファンでもあるようですね。

アニメ作品にもゲスト声優として出演。さらに、漫画化されたときには、実際に村上豊彦さんが制作したプラモデルの機体がそのまま採用されたそうです。これだけ多趣味な村上豊彦さんですが、ファッションにはまったく興味がないそう。

髪型や服装に気を使うという欲がまったくなく、とにかく暑さ寒さをしのげればそれでいいという考えなのだそうです。ずっと黒髪を通しているので、そこにこだわりがあると思われがちですが、じつはただ無頓着なだけなようですね。

また、食事にもまったく興味がなく、できれば口にものを入れていたくないほどだとか。

その一方で、大の甘党でお菓子が大好き。1日かならず3回は食べて、食事代わりにポテトチップスやグミばかり食べているそうです。根本的に、衣食住にはまったく関心がないようですね。

さすがに、最近ではそれなりにごはんも食べるようになったそうですが、それでもトマトと納豆だけは絶対に食べられないそうです。かなり極端なキャラクターにも思えますが、そのクールで知的な見た目に何となくしっくりくるのも不思議ですね。

そんな村上豊彦さんの好きな女性のタイプは、小さくて可愛らしい人。何より、頭が良くて空気が読めることが大事だそうです。なかでも、マニアックな自分の趣味を認めてくれるのがもっとも嬉しいのだとか。

村上豊彦のデビュー当時の様子について

幼いころから、すでに地元で芸能活動を行ってきた村上豊彦さん。そのスタートは、何と幼稚園のころにまでさかのぼります。まだ、ほとんど物心がつくかつかないかのころから、ずっと現在につながる仕事を続けてきたわけですね。

ただ、当時はキッズモデルとしての活躍で、まだ演技をしていたわではありませんでした。本格的に俳優デビューすることになったのは、2002年の映画にオーディションで合格して出演が決まってからでした。といっても、これでもまだ中学生になったばかりの、わずか13歳の出来事です。

そんな幼いころからずっと芸能界で過ごしてきた日々は、村上豊彦さんにとっては最高の思い出となっているそうです。

その一方で、すべて周りが大人ばかりの現場で仕事をすることには、いろいろ大変なことも多かったようです。なかなか役者として対等にあつかってもらえない理不尽さや、逃げ出したくなるような思い出もたくさんあったそうです。

それでも、デビューしてから映画やドラマへの出演を重ねていくうちに、どんどん仕事にやりがいを感じられるようにもなっていきました。

一生この仕事を続けていきたいなと感じるようになったのと同時に、もうこれだけ顔が知られてしまっては、今さら普通の生活には後戻りできなくなっているな、という気持ちもあったようです。

それでも、ものすごく大勢にの人から自分の仕事が評価されるのは、これ以上ない俳優の魅力だそうです。

村上豊彦さんがようやくそう思えるようになったのは、俳優としてデビューしてから数年後の、高校生になったときのことだそうです。

今から考えるとほんのわずかな時間のことに思えますが、まだ思春期まっさかりだった村上豊彦さんにしてみたら、とても濃密で何ものにも代えがたい時間になったことが想像できますね。

ちなみに、俳優としてデビューしたてのころに、村上豊彦さんはその後の人生にとってとても大事になる出会いをしています。その相手は、2005年にホームドラマで共演した、同じ年頃の子役でした。

村上豊彦さんが14歳で、相手は12歳。それでいて、すでに向こうは主役を演じるほどの実績の持ち主。ちょうどドラマの内容も、村上豊彦さん演ずる心を開かない転校生に対して、主人公が友達になろうと必死に奮闘する、というストーリーでした。

その内容どおりり、二人は撮影が終わったあとも親交を深めていって、今では親友と呼べる間柄になっているそうです。

その後も一度は共演を果たした二人ですが、そろそろまた共演をしたいと、村上豊彦さんも願っているようです。