村上豊彦さんの子供の時になりたかった職業

村上豊彦さんはブログで、「一番なりたかった職業は?」という質問に対し、プロレスラーという回答をしています。
子供のころ人気だった覆面レスラー。その大ファンだった村上さんは、テレビで観るかっこいい姿に、とてもあこがれていたそうです。

そしてもうひとつ。子供のころ、よくなりたいと言っていたのがヒーローでした。
ヒーローというのは、文字どおり悪を相手に戦うスーパーヒーローのことです。なかでも、アメリカンコミックに出てくるような、
チョイ悪のヒーローには強いあこがれを抱いていたようですね。

どちらも、いかにも男の子が通る道という感じですよね。
やがて、中学校に上がるころには、もう少し地に足の着いた職業になりたいと考えるようになっていました。

それが、学校の教師です。
そう思うようになった大きなきっかけが、教師を主人公にした学園もののマンガでした。

その主人公の型破りな教師像にあこがれ、さらに現実でも尊敬できる担任教師と出会ったことで、村上さんは自分も同じようになりたいと考えたのです。
その目標を達成するために、大学へと進学。そこで無事、高校の社会科の教員免許を取得することもできました。

しかし、ここでまた別の新しい夢が芽生えていました。
それが、俳優になること。

大学時代に出会った俳優に誘われたことがきっかけで、すでに気持ちはそちらへと向かっていたのです。
結局、教員免許を取得しながら、教師になる道はあきらめることになりました。

その後の流れは、みなさんもご存知のとおりです。
村上さんは2.5次元ミュージカルの人気俳優として、見事に夢をつかむことに成功しました。

しかし、この話はそれだけではありません
俳優になってから、中学時代にあこがれていたあのマンガがドラマ化され、その作品に出演することも決まったのです。

ほんのわずかしか出番がない脇役とはいえ、これは、かつてのファンとしてはとても大きなよろこびでした。
そして3年後。何と、今度は同じ作者の別の作品がミュージカル化されることとなり、その主人公の教師役にまで抜擢されることになったのです。

そう。ここで村上さんは、俳優と教師になるという2つの目標を同時に達成することができたのです。
また、その主人公は普段は気の弱い性格でありながら、じつは裏では覆面をかぶって悪い生徒を厳しく罰するというキャラクターでもありました。

これは、ある意味で覆面レスラーやチョイ悪ヒーローにあこがれていた子供のころの夢もかなたっといえるのかもしれません。
偶然とはいえ、不思議なめぐり合わせもあるものですね。

村上豊彦さんの好きな映画

休日などには、よく映画のDVDなどを借りて観ているという村上豊彦さん。

あまりに映画に熱中しすぎて、箱入りの板チョコを全部食べてしまったり、ほかの録画と合わせて8時間ほども一気に過ごしてしまうことも少なくないそうです。
そんななかでも村上さんが好きなのが、イギリスのノッティングヒルを舞台にした、冴えない書店主とハリウッド女優の恋愛を描いたラブストーリーです。

内容もさることながら、その主題歌には素晴らしい感銘を受けたようですね。

観ていない人は、ぜひ観てほしいとブログでも紹介するほどです。
基本的に、村上さんは映画を観て泣くことがとても多いおうです。

なかでも大好きなアニメ映画では、子供向けながらハズレがないという2作品のシリーズをすすめています。
また、過去に死んだ少女が幽霊となってあらわれるという設定の作品では、あまりにガン泣き、バク亡きをして友達に引かれてしまったこともあるのだとか。

また、戦争を兄妹が生き延びる話では、物語が始まってからわずか2分で号泣してしまうといいます。
村上さんは年の離れた妹をとても可愛がっているので、そんな自分と主人公をついつい重ねてしまうようですね。

この作品を見た翌日は目が真っ赤に腫れ上がってしまうので、翌日に仕事がある日はたとえテレビ放送をしていても絶対に見ないという決意で臨むそうです。

結局は、途中から見てしまうのが村上さんらしいですね。
1人でDVDを観て涙することが多い村上さんですが、一度は仲間たちと自宅で映画を観て大泣きしてしまったこともあるそうです。

雰囲気を出すために明かりを消して見ていたのですが、電気をつけると何と全員同じように感動して泣いていたのだとか。
その様子に、思わず感動してしまったといいます。

ただ、今思うと、二十歳を過ぎた男性が6畳の部屋に集まって全員泣いているのは、かなりきつい光景だったと思うと冗談交じりに語っています。
もちろん、アニメ好きだからといってアニメ映画だけを見ているだけではありません。
特に漫画を実写化した作品は敬遠されがちなのですが、そのなかでも原作ファンでも期待以上だという作品の紹介なども熱心にしています。

また、私立探偵の活躍を描いたハードボイルド映画では、主演の俳優の演技に感動して、のちにドラマ化された作品もふくめて、
考え込んだりしたときには今でも見返すなど、バイブルのような存在になっているそうです。

ほかにも、ヤクザ漫画を原作とした映画では、主演の俳優に中学3年生のときに衝撃を受けて、いまだにあこがれの的となっているそうです。
また、好きな女優は意外にも昭和の名女優で、古風でずっときれいなままなところが好きだそうです。

ぜひ、昔の映画も見てほしいと紹介しています。

中学の文化祭出演が俳優へのきっかけ

村上豊彦さんが中学時代に、とても大きな影響を受けた漫画がありました。
それが、型破りな教師を主人公とした学園ドラマの漫画です。

作品自体が面白かったことはもちろんですが、それ以上に強く心に残ったのには、もうひとつ理由がありました。

村上さんが中学生のころは学級崩壊がひどく、授業中でも平気で教室を出たり、廊下を自転車で走るような生徒もいたそうです。

一方で、教師もそういった生徒は基本的に無視。教室にいる生徒だけを相手に、授業を行うという形になっていったそうです。

そんななか、クラスの担任は、とても熱い先生だったそうです。

辛抱強く生徒と向き合って、つねに自分たちの味方をしてくれる。ときには、他校の生徒からも身を挺して守ってくれることもあったのだとか。
クラスを一致団結させるために、文化祭で劇をやろうと提案し、三年の間にはミュージカルも行ったそうです。

村上さんが演じたのは、ほんのひと言セリフがあるだけの脇役でした。

しかし、このときの経験が、のちに俳優となるきっかけともなったそうです。

それでも、当時はまだ先生へのあこがれのほうが強かったようですね。中学を卒業するときには、担任の先生に向かって、かならず教員免許を取ると約束したのだといいます。

そうして高校へ進学した村上さんですが、ごく普通の男子高校生ではあったものの、思春期なりにいろいろつまずきなどはあったようです。
16歳のときには、大好きな母親が泣いているのを見て、心を入れ替えて髪を3mmの坊主頭にしたそうです。
それ以来、ちゃんと朝起きて、夕方に帰り、とりあえず机に向かうといった当たり前の生活をするようになりました。

それでも、あまり勉強に集中することはできなかったそうですが、希望通りに大学へも入学。そして、高校の社会科の教員免許を取るという中学時代からの目標を達成します。
教育実習で母校の高校を訪れたときには、当時の先生から「まさか、お前が」と感慨深げにされてしまったそうです。

ところが、大学時代に出会った一人の俳優との出会いが思いを変えさせます。

その俳優に演技を褒められ、あきらめるな、一緒に仕事をしよう、と声をかけられたことが、最終的に現在の道へと進むことを決心させたそうです。
今では、その俳優さんといつか共演することを目標としているそうです。

俳優になってから村上さんは、教師へのあこがれを抱いた漫画と同じ作者の別作品で、主役の教師を演じることになりました。
その舞台には中学時代の恩師も訪れていて、スタンディングオベーションの最中に思わず涙腺が崩壊してしまったそうです。

この瞬間に、ある意味で中学時代の夢はかなったといえるのかもしれませんね。

大柄な特徴から、がっしりしたキャラクターで出演

村上豊彦さんは、漫画を原作としたいわゆる2.5次元ミュージカルなどで、数多くのキャラクターを演じてきました。
なかでも多いのが、学園を舞台とした生徒役です。

代表的なのは、バスケットボールと自動車ロードレースをモチーフにした、スポーツ漫画の2人のキャラクターでしょう。
どちらも主人公のライバルで、身長180cmを越すかなり大柄な体格。プレースタイルも、パワータイプといった共通点があります。

面白いのは、どちらのキャラクターも作中ではあまりイケメンとして描かれていないという点です。
どちらかというと、がっしりした体格で、筋肉質ながら細身の村上さんとはかなりイメージに差があります。

そういった意味では、村上さんが演じたことによって、また新しいキャラクターの魅力を掘り起こすことができたといえるのではないでしょうか。
そのほかの漫画やアニメを原作とした舞台でも、やはり大柄という特徴からか、がっしりしたキャラクターを演じることが多くなっています。

それでいて、原作ファンの期待はかならず裏切らない。こういった演技力を持ち合わせていることが、2.5次元ミュージカル俳優として高く評価されている理由なんでしょうね。
漫画が原作だと、どうしてもつきまとうのがファンのイメージとの違いです。

その点については、最初は戸惑いを持たれても、自分たちが一所懸命演じることで、かならずまっすぐ観てくれるようになると信じているそうです。
ちなみに、神様が人間世界に暮らすファンタジー作品では、いかつい外見ながら、家庭的で子供好き、何かと振り回されやすいというキャラクターを演じています。

お母さんに言わせると、そのキャラクターがもっとも素の村上さんに近くて、好きなんだそうです。
こういったところからも、本人の性格がうかがえて面白いですね。

こうして、中学生役、高校生役と経てきた村上さんですが、もともと自分の夢でもあった教師役にもチャレンジしています。
この作品では、これまでとは打って変わって、生徒にも軽くあしらわれてしまうような気弱なキャラクターを演じています。

ただし、裏では仮面をかぶり、体罰を行ってバリカンで断髪するという、かなり過激な役柄でもあります。
二面性があるのでかなり難しい役柄ですが、これまでになかった役にチャレンジできることに、かなり意気込みをもって臨んだようです。

また、2.5次元以外の作品では、歴史上の人物を演じることも多いようです。
そのなかでも豪傑や剣豪タイプの人物が多いのは、やはり堂々とした見た目からくるイメージなんでしょうね。

家族への愛情深いできごと

村上豊彦さんには、両親と妹、祖母、そして愛犬の家族がいるようです。

なかでも、お母さんとはかなり仲が良いらしく、ブログにもたびたび登場しています。記事のなかで紹介されるだけではなく、
本人からコメント欄に書き込みがあったり、内容についてもたびたびメールでダメ出しを食らっているようですね。

さすがにコメントを書き込まれたときには、恥ずかしいからやめてほしいと頼んだそうですが。
母親のことを「お母さん」ではなく、下の名前で呼んでいるところにも、まるで友達のようなコミュニケーションを取っていることがうかがえます。

実家に帰ると、刺し身や鉄板焼き、特別サラダなど、かならず母親の料理を楽しんでいるようですね。
お母さんからは贈り物も多く、初舞台のときに差し入れでもらったネギ味噌せんべいにはすっかりハマってしまって、自分でも買うほどになってしまったとか。

ほかにも、Tシャツや、ときには母親の好きなタレントさんなどの画像が、意味もなく送られてくることもあるそうです。
一方で、ブログの更新がないと心配するメールをくれたり、実家から帰るときには、花粉症に悩む息子にティッシュをボックスを渡したりと、母親らしい心遣いも。

舞台を東京まで見に来てくれることもあるようですね。そのときには、村上さんも一緒にプリクラを撮ったりしています。
もちろん、村上さんのほうからも、誕生日にはケーキを贈ったり、舞台関係で作ったオリジナルキャップをプレゼントしたりしています。

母の日と誕生日が近いので、合わせてお祝いすることが多いようですね。
ちなみに、お母さんは年を取ることを、「レベルが上がる」とおちゃめな表現をしているそうです。

Tシャツのブランドも、同じものが好きだという村上さんとお母さん。ちょっと、ここまで仲の良い母子関係はめずらしいくらいですね。
しかも、村上さんの家族への愛情はそれだけにとどまりません。

妹さんとは7歳離れていることもあってか、本人いわく「一年中萌えっぱなし」というほど溺愛している様子です。
妹さんともよく東京で会い、食事などをしているようです。

成長してかわいくなったときには、「変な虫がつかないか心配」などと、過剰とも思えるほどの愛情ぶりを示していました。
それでも、結婚が決まったときにはとても喜んでいましたね。

いろいろ大変な思いをさせたこともあるそうで、心から幸せを願っているそうです。
また、祖母のことも大好きで、村上さんにとっては1月28日はおばあちゃんの誕生日で、バレンタインデーという意識はあまりないそうです。

舞台で特攻隊を演じたさいには、話を聞いてとても考えさせられることもあったとか。
ゴリラの刺繍された靴下をもらったときには、そのセンスを面白がりながら、とても大切そうに履いていました。

父親のことはあまりエピソードが聞かれませんが、くん付けで紹介するほど、やはり仲が良いようです。
実家に帰ったときには、おなじみの居酒屋で母親と三人で飲みにいくこともあるようですね。

一番なりたかった職業は、プロレスラーやヒーロー

身長180cmと大柄な村上豊彦さんですが、生まれたときにはすでに何と4,160gも体重があったそうです。

本人もその自覚はまったくなかったようで、誕生日にお母さんから知らされたときには、かなり驚いていました。
ブログには、1際の誕生日を迎えて、じっとケーキの前で座っている可愛らしい写真も紹介されています。

ちなみに、おばあちゃんに言わせると、村上さんのピークは3~5歳くらいだったそうです。

そのころが一番可愛かった、今では大きくなっちゃった、と会うたびに言われているそうです。

もちろん、孫としてかわいいことには変わりはないでしょうね。

そのおばあちゃんの誕生日である2月14日は、自宅ではバレンタインデーというイメージがほとんどないそうです。
それとはあまり関係ないかもしれませんが、意外にもチョコレートをもらった経験はあまりないそうです。

今でこそ、好きな食べ物をよく紹介している村上さんですが、小さいころはけっこう嫌いな食べ物が多く、よくお母さんに怒られていたのだとか。
肉が大好きで、野菜と順番に食べろと言われても、焼肉ばかり食べていたそうです。今では、反対に野菜のほうを多く食べるようになってしまったそうですが。

ほかにも、小さいときからバナナの香りがとても苦手だったのだとか。

一方で、何にでもマヨネーズをかけて食べることが好きでもあったそうです。
小学4年生のときには、なぜか朝食からてりやきバーガーと白米という組み合わせだったことがあり、人生で初めての胃もたれを経験したそうです。

そのとき飲んだ胃薬はかなり苦く、今でもトラウマのようです。
子供のころは、強風や大雨、台風などが来るとドキドキして、小学生のときには利根川までわざわざ見に行ったことも。

一番なりたかった職業は、プロレスラーやヒーロー。特に、アメリカンコミックのちょい悪なヒーローにあこがれていたそうです。
いかにも男の子らしい発想ですが、村上さんらしいともいえますよね。

その一方で、子供のころから虫は大の苦手。アリからカブトムシまで、いっさい触ることはできなかったそうです。
スポーツ好きでもありましたが、野球経験はなかったようで、元高校球児を演じるときには、かっこいい投球うフォームを身につけるためにかなり猛特訓したそうです。

音楽は父親の影響で、ブルース好きというかなり渋い子供だったとか。
幼いころは両親が共働きだったため、おばあちゃんとよく公園に鯉に餌をやりにいっていたという村上さん。

その公園のことが大好きで、中学生までずっと、自分とともにあったと感じているそうです。

漫画やゲームに夢中だった子供の頃

映画やドラマやCMで大活躍をされている村上豊彦さん。出演したドラマや映画、舞台はかなりの数になり、真面目な役柄からコミカルな役までマルチにこなされるすばらしい才能をもっている俳優です。

イケメンの二枚目でありながら、個性的に演じられて、どんな役も全力で楽しんでいる、そんな素敵な俳優さんです。演技にも定評がある村上豊彦さんは、デビュー当時、16歳の頃と比べるとずいぶんと雰囲気が変わりましたよね。

でもそれ以前の村上豊彦さんの画像がめちゃくちゃかわいいと言われていて、子どもの頃はとてもかわいらしいお子さんだったそうです。

村上豊彦さんには姉妹のお姉さんがいます。長女のお姉さんは現在女優、次女のお姉さんは歌手とモデル、そして事業家でもあります。村上豊彦さんは上の二人のお姉さんと小さな頃から仲が良かったようです。確かにこんなに可愛らしい弟さんがいたら優しくしますよね。

この方は、小学校の頃、人気のあったある漫画に憧れていたということで漫画なども好きだったようですね。

また、小学校のころからある国民的な人気のロールプレイングゲームをされておられたそうで、デビューされてからゲームのCMにご出演された時に、小学生の時に初めてゲームをされて、その時に、初めて遊園地に行った時の様な印象があったとおっしゃられています。

そのCMの撮影をした時のインタビュー映像が公開され、この頃からゲームが大好きだったとおっしゃられています。

ゲームをしている時は大人になった現在も、子どもの時と同じようにワクワクが止まらないと真剣におっしゃられています。新しいソフトを手にすると、未だに試行錯誤を繰り返し遊んでいるとインタビューに答えておられます。

そんな村上豊彦さんは中学校では小学校の時に憧れていた漫画の影響でバスケ部に入部されますが、一年生は体育館を全然使うことができなくて、それが嫌気になって辞めてしまったとおっしゃられています。

中学校3年生の時、家族の引っ越しで2学期の終わりに転校をされます。転校先の学校には3学期の1学期間しか在籍せず、転校当時、嫌がらせを受けたことが原因でこの方は不登校になってしまわれました。

その時、高校受験をする気はなかったけれど、先生や親の勧めで一応受験されたそうですが、受験中に居眠りをしてしまって高校には受からなかったとのエピソードがあります。

そのため、この方は中卒で今日までこられました。そんなこの方に対する世間の反応はおおむね好評のようです。この方がご出演された作品の1話から最終話まで鬱展開すぎて涙腺が崩壊、といった概ね好意的な反応です。

数々受賞!あどけない美少年から、ワイルドな髭フェイスへ

村上豊彦さんは原宿でスカウトされたことがきっかけで芸能界デビューされました。中学校3年生の2学期の終わりまでは鹿児島県の中学校に通っておられ、3学期からは東京の中学校に転校されました。

中学校をご卒業された後は、10月にドラマデビューされ、以来忙しい毎日を過ごしながら俳優としてドラマや映画でご活躍されてこられました。

1999年10月ドラマでの俳優デビュー後は2002年にシングルデビューされました。この曲はあるドラマの主題歌になりました。その翌年にはあるテレビドラマで初主演を果たされ、2004年にはエランドール賞新人賞受賞を受賞されました。

2005年にはブレイクのきっかけとなったといわれれるある映画で初主演を果たされ、その前年にはある日米合作映画でも主演級の演技を披露されました。

2007年の秋に公開されたある映画からはワイルドな役を演じるようになられ、長髪と無精髭でそれまでのイメージとは大きく違った演技を披露されました。このような挑発無精髭作品が続き、その中の作品でこの方は20代ではただ一人、第50回ブルーリボン賞助演男優賞にノミネートされました。

2010年にはこの方が出演された映画が世界的に有名なフランスのある映画祭に出品され、この方も参加されました。

さらに同年、アメリカのあるエンタテイメント情報誌で、世界の注目俳優10人の1人にこの方は紹介されました。これは日本人では村上豊彦さん飲みだったということなのです。

そして、2011年にはこの方はニューヨーク・アジアの映画祭で、スター・アジア・ライジング・スター賞を日本人初受賞、その翌年にはヨコハマ映画祭助演男優賞受賞や日本インターネット映画大賞日本映画部門助演男優賞受賞、日本放送映画藝術大賞映画部門最優秀助演男優賞受賞を立て続けて受賞されました。

そして、2014年にはあるミュージカルで初舞台で主演をされ、2016年にある作品でMV初監督を務められました。さらに、ユニットを結成されて、シングルでCDも出されました。

村上豊彦さんはイケメン俳優として名高いハンサムな俳優さんですが、数々の作品でまるでカメレオンのごとくその役になりきられて、多彩な役柄を好演されてきている実力の高い個性派俳優です。

あどけない美少年としてデビューされて以来、爽やかな俳優として活躍されその要望は変わっていかれ、現在ワイルドな髭フェイスが特徴的な俳優になられています。

数々の有名賞を受賞され、目を見張るほどの活躍ぶりで、今後の活躍が期待されるスター俳優ですよね。

個性的俳優 演じる時は自分の芯はもたずに…

村上豊彦さんは鹿児島県出身の俳優です。この方は、小学校のころに人気があったある漫画に憧れて、中学校ではバスケ部に入部されましたが、一年生は体育館を使うことができず、それで嫌気がさしやめてしまったというエピソードがあります。

そんな鹿児島県の中学校を、この方は中学校3年生の2学期の就業式で転校することになりました。家族で東京に引っ越すためです。

中学校の3年生といえば、進路を決める大事な時期です。その時期の、しかも2学期が終わったところで東京に行くというこの方にとってとても大きなことだったのではないでしょうか。

そして、東京に転校した中学校3年生の3学期という時期に、クラスにどうとけ込もうか思っていたら、いじめにあってしまい、当時、転校してきたばかりのこの方にとってそれがあまりにも衝撃的で、それ以来不登校になってしまったということなのです。

中学校3年生の2学期や3学期という思春期の多感な時期に、鹿児島から東京という大きな環境の変化があり、しかも行った先の学校でそんな出来事があったら参ってしまいますよね。

そして、その時、担任の先生にとにかく高校受験をといわれても、なかなか引っ越したばかりで、どの学校を選べばいいのかというのは実感がなかったのではないでしょうか。

しかも、中学校3年生の3学期という受験と卒業というギリギリの時期に転校してしまって、どうすればいいのかわからないというところもおありだったのではないでしょうか。

この方は、結局、高校には行かず、中学校を卒業後はそのまま仕事に就かれたということだそうです。この方は、ご出演される作品ごとに全く違う役柄を演じ分けられ、さらに外見までも別人のように見せてしまうというとてもすばらしい俳優で、カメレオン俳優と呼ばれています。

村上豊彦さんは役を演じる時には、自分の芯というものを持たないようにしているとおっしゃられています。芯を持って俳優活動を行うという人はとてもおおいといえますが、演じることを逆の視点からとらえている役者さんは他の俳優とは違ってとても個性があります。

そのような理由で役者としてご活躍されていますが、20代の頃は精神的にまいることがあってとてもつらかったとおっしゃられています。

自分の生きる道と、恋愛というはざまでたいへん大きな葛藤があって、隠し子騒動などになって非常に波乱万丈な人生を送ってこられました。

けれども、学歴は成功には関係ないという代名詞的な俳優さんとしても多くの人々にインパクトを残された俳優が村上豊彦さんといえますよね。

村上豊彦の役者を目指したきっかけとは?

村上豊彦さんが芸能界に入ったのは、家族がキッズモデルの事務所に応募したことがきっかけでした。当時はまだ幼稚園児だったので、当然自分で決めたことではありません。

その後も、何となく流されて、やらされているような気分のまま役者の仕事を続けていました。だからこそ、まさか自分が俳優を一生の仕事にするなどということは、夢にも考えていなかったそうです。

しかし、中学生から高校生と成長するにつれて、俳優の仕事が順調に増えてくと、だんだんその仕事にやりがいのようなものを感じるようになっていきました。

高校時代は芸能コースに在籍していて、多くの同じような仕事をしている友達にも囲まれていました。そういったことも、影響をあたえていたかもしれませんね。そして、もっとこの仕事を続けていきたい、そう考えるようになったのです。

村上豊彦さんには、はっきりと、俳優になりたいといったきっかけがあったわけではありません。しかし、すでに家族がオーディションへの応募をしたときから、こうした運命は決まっていたのかもしれませんね。

ただ、それでもまだ村上豊彦さんは、あくまで10代のころは学業と役者業は並立して行うことを考えていました。

大学へ進学することを決めたのは、そこでより多くの人生経験を積んでいきたいと考えたからだそうです。そして、芸能人以外の友人もたくさん作りたいと考えていました。

実際にその希望はかない、村上豊彦さんは大学時代の間にもっとも仲の良い友人を、たくさん作ることができたそうです。ただ、それも今にして振り返ると、結局逃げ道だったのではないかと考えています。

大学を卒業してようやく、これからは生きていくためにこの未知でお金を稼いでいかなければいけない。そんな覚悟が生まれたそうです。

そしてその覚悟が生まれたことで、これまでは自分にとってプラスになるかならないかを仕事の基準にしていたのが、それではとうていやっていけない。あたえられた仕事をプロとしてこなしていかなければいけないんだ、という姿勢に変わっていったそうです。

その意味で考えると、そこからが俳優・村上豊彦としての本格的なスタートだったのかもしれません。実際に、そのころから次々と有名マンガやアニメの実写化などで演じてきた作品が、現在の村上豊彦さんの代表的な仕事となっていることからも、そのことが分かります。

もちろん、今ではずっとやっていきたい、とてもやりがいのある仕事だと感じているようです。